- 昭和20年6月 > 愛知県巡査拝命 昭和35年退職
- 昭和35年4月 中川区でカメラ店自営 以後2店舗増設
- 昭和46年 民謡三味線を習い始める
- 昭和56年
指導者の資格を取り民謡と三味線を教え始める
- 翌昭和57年2月
民謡三味線かつら会を結成
生徒15人で発会式を昭和橋食堂の二階で会をスタート
生徒も私も希望に燃えた
- 昭和57年暮れ
カラオケ部門併設 この頃はまだカラオケ教室は珍しかった
以後どんどん生徒が増え 200名を越えた
以後毎年一回民謡とカラオケの合同発表会を15回連続で実施
会場はいろいろで 中小企業センター, 名古屋港港湾会館、
名古屋市民会館、名古屋市公会堂、矢場町青年会館など
- 昭和61年
全日本民謡連盟東海支部に加入
会は 鷲鳴会 清音会 竹内会 綾乃会 旭身会 稲垣会 須美礼会
私のかつら会の八社中で みな民謡ばかりやっていたが
私が加入したばかりに 三味線で演歌もやることになった
- 昭和63年2月21日
ZMAレコードからレコードデビュー
昭和区の吹き上げホールで新曲発表会を開催
「大漁めおと船」「涙ぐせ」を発売
この様子は CBCテレビが実況取材に来て
その日の午後5時からのテレビワイドニュ−スで7分間放送された
タイトルは(60歳の元警察官が歌手デビュー)
一番人生のやり甲斐を感じた時
- 平成2年9月21日
キングレコードから全国発売
今度は全国版だからと大いに張り切ってやる気になった
新曲発表会をクラウンホテルで開催
音楽関係者 カラオケ喫茶関係者 カメラ関係者等多数の人を集め
盛大に発表会が開催できた
「親父が涙の子守唄」「あの娘」 作詩/服部悦夫 作曲/林 伊佐緒
- 歌手としてのキャンペーン
名古屋市内は勿論市外三重県 岐阜県 静岡県等いろんな所にオリジナル曲 の売り込みの為のキャンペーンをやった
主として スナック カラオケ喫茶でやるのが多かったが 東京の江戸川総合文化 センターの大ホールでやったこともあった
- 平成4年
名古屋芸能人協会に入会 以後毎年一回総会をやっている
- 平成6年10月
千種区のガスビルで私としては初めての合同公演を実施
これが芸能人協会の40周年フエステイバルであった
- 平成17年8月
大須演芸場で芸能人協会の50周年記念フエステイバルを
一部二部に分けて実施 出席芸人15組 大盛況だった
私は三味線漫談を担当
- 平成6年4月
大須演芸場に芸人として採用され三味線漫談を担当
時には演歌 民謡 童謡などの替え歌も三味線の弾き語りで行う
毎月10日〜20日出演 特には時局風刺のノンキ節が得意
- 平成9年11月
中部プロ歌手仲間きしめんの会に入会
以後積極的に歌手活動に精を出し 中部の各所にキャンペーンに出向く
この頃 豊橋交通刑務所に4回慰問に出向き多大の感銘を与えた
- 長島温泉には9年間連続でサンキューパックのカラオケ大会の審査員長を務めた
ついでに 金田たつえ 三橋美智也 瀬川瑛子 大月みやこ 笹みどり 鳥羽一郎
その他多数の歌手と競演した
- 最近は依頼があれば何処でも出かけて 三味線漫談,人生講演、歌謡曲をやり
得意は時局風刺のノンキ節です
- 平成17年8月23日愛知地球博に出演
そのときの写真は民謡のページにあります
プロフイール